灯火

 

 

 

慣れきった疲労感を肩に背負いセフィロスは自宅マンションへと向かっていた。

『帰る』という感情は持っていなかった。

冷暖房が効いていてゆっくり休める所ならそれが何処であろうと彼には関係無かったのだ。

ただ寝るだけの場所、それがセフィロスの感覚だった。

 

今夜はひどく寒い。

吹きすさぶ風は容赦なくセフィロスの肌を突き刺していく。

彼は僅かに眉を寄せこの分では部屋も暖めなくてはいけないなと新品と呼ばれる割には動きの遅いエアコンを想像し溜め息をついた。

こんな時人は誰かを求めるのだろうか。

よぎった疑問にセフィロスは嘲笑の笑みを浮かべる。

少し疲れているのだろう。自分で気付かなくても最近は激務と言っていい程の仕事量だった。

そう、疲れているのだ。でなければこんな問いを思いつくはずもない。

セフィロスが自分に言い聞かせている内に彼の足は目的地に辿り着いていた。

普段なら真っ直ぐエレベーターへ向かう足を止めたのは、矢張り疲れていたからだろう。

セフィロスの無駄の無い顎が持ち上げられる。

点々と灯る部屋の明かりが人の存在を彼に伝えた。

羨ましいという感情は無くともその灯はひどく、暖かく見えた。

ふと目に入った光にセフィロスの首が捻られる。

そこは最上階、自身の部屋。

一番暗がりが似合うその家に煌々とした明かりが漏れ出ていた。

その瞬間彼の頭に浮かんだのは一週間程前に転がり込んできた居候の姿。

存在を忘れていたわけではなかったがまさかその男が居るとは思っていなかったのだ。

珍しいこともあるものだとセフィロスは一人ごちる。

任務が翌日に控えている以外、居候といえどその姿を夜に見ることはなかった。

それが何故ここにいるのか。

セフィロスが見せた表情は珍しく困惑に満ちていた。

けれどこのまま突っ立っているわけにもいかないのだ。

吹く風は益々冷気を伴っていくように感じられる。

一度かぶりを振った彼が自室に戻るまでそう時間はかからなかった。

 

開けた扉から溢れ出る光と音にセフィロスは瞬きを数回してから玄関を通り抜けた。

ハリネズミのような黒髪がソファーの裏側からひょっこり現れている。

付けっぱなしになったテレビからは淡々と神羅の栄光を称えるアナウンサーの声が流れていた。

それこそ何より珍しい。

セフィロスがそう思うのと同時に黒髪がずるりと視界から消えた。

瞳を僅かに見開いた彼の耳に届くのはすややまな寝息。

合点がいった、と一人頷くセフィロスは未だに不快な言葉を並べ立てるテレビ画面に向かい長い腕を伸ばす。

僅かな音を立ててそれは命を失った。

途端静かになる室内を改めて見渡すといつの間にか記憶に無い品物が増えていることに気付く。

それがこの眼前で無防備に惰眠を貪る男のせいだということは明らかだった。

「ザックス」

セフィロスに名を呼ばれた男は身じろぐものの目を覚ます気色はない。

風呂上りでそのまま寝入ってしまったのだろう。テーブルにはビール缶が転がり、むき出しになった上半身が白熱灯に晒されている。

「おい」

もう一度声をかけるものの煩いのかその眉が寄せられるだけでセフィロスの望む反応は返ってこない。

この分では起こした所で文句を言われるだけだろう。

そう判断したセフィロスは何かかけるものはないか再び辺りに目をやる。

けれど温もりを与えられそうな物は何一つなく、元は自分の家の一室だとは言え、ザックスが勝手に使い始めた部屋に入るのも気が引けた。

ましてや自分自身のケットを貸してやるなど持っての他だ。そこまでしてやる必要は無い。

それに、そうすれば男が困った表情をすることは目に見えていた。

彼は自分の全ては与えるくせにセフィロスが何かを与えようとするとひどく怒るような不可思議な男だということに気付き始めていたから。

 

『馬鹿は風邪を引かない』

大口を開け、間抜け面を露にしている男をまじまじと見つめていたセフィロスの脳裏に何処かで聞いた古い諺が蘇る。

それもそうか、と納得したセフィロスもつられたのかその端正な顔立ちが歪む。

目尻に浮かんだ涙をそのままにセフィロスは自身の寝室へと足を向けた。

 

彼の上げる寝息を聞きながら、リビングの明かりを消す頃には当初に感じた寒さも疲労感も消え去っていた。