過去

 

 

 

ミッドガルの住宅事情は決して良いとは言えなかった。

ザックスはソルジャーファーストになった今でもセカンドで移った家に居を構えていた。

ザックスの住むマンションも見た目はともかく目をやればあちらこちらが傷んでいるのが分かる。

そんな状態を住人達が放っておくわけがない。彼等が雇い主に文句をつけるのも無理はなかったのだ。

ザックスがそれを知らなかったのは彼が遊び人だった故のこと。言ってみれば自業自得なのである。

一週間振りに自宅へ戻ったザックスの眼前に突きつけられたのは退去願いの薄っぺらい紙切れだった。

「何だこれ」

首を捻る彼にタイミングよく現れた同僚が呆れ顔で近付いた。

「お前まだ荷物まとめてなかったのか」

「荷物、ってこれさ。どういうことなんだ?」

見れば彼の手には小さな段ボール箱が収まっている。

「だからこのマンションがたがきてただろ?だから、補修するんだよ」

予想だにしなかった言葉にザックスの表情が愕然としたものに変わった。

そんなザックスに彼はいかにも楽しげな笑顔を浮かべ「まあ頑張れや」と肩を叩く。

補修ってどれぐらいの期間なんだ、という問いに込められた望みは呆気なく打ち砕かれた。

半年、という期間は特定の恋人を持たないザックスにとってあまりに長いものであった。

しばらくはぽつぽつと、それまで関係を持っていた彼女達の家を渡り歩いてはいたのだがそれとて長くは続かない。

もたなかったのは女性達ではなく、ザックスの精神だった。

一晩の熱は交わせても生活を共に出来ない理由は自身が知りたかった。

これでは仕事に身が入らないのは確実だ。

今は大きな任務もないが、このままではいけないことをザックスは知っていた。

こういった時に真っ先に頼るべきなのは会社ではないかとザックスが思い立ったのは、とうとうその辺で

引っ掛けた女性の元へ向かうことも億劫になった頃だった。

しかし、彼の願いはにべもなく崩される。

笑えばさぞかし可憐であろうその顔は白々しいほど曇り、赤く塗られた唇が本社から近い物件で空いているものはないと言う。

本当は文句の一つも言ってやりたかったのだが、天性の女好きがそうはさせてはくれない。

自分自身に溜め息を一つついた瞬間、見慣れた背中が視界をよぎった。

 

「セフィロス!」

思わず声をかけるとその背の持ち主が振り返る。

長い銀糸が一拍遅れて、揺れた。

「珍しいな。こんな所で会うなんて」

社内の女性は全て口説いているのだと噂される程顔が広いザックスとは違い、セフィロスは滅多なことで行動パターンを崩さない。

神羅本社でも立ち入る場所は自身の執務室と報告の為の応接室。そして極まれにお世辞にも美味いとは言えない食堂。

そんなお決まりのコースに福利厚生とプレートの掲げられたこの階はひどく不似合いだった。

ザックスの言葉にセフィロスはうんざりした顔つきで呟く。

「契約の更新に来たんだ」

「更新?何の」

よく見てみればその手には何枚かの書類が持たれている。

「家、だ。何故かこれだけは一々自分で確認しないといけないらしい。毎年のことだがどうも慣れない」

ザックスはしかめ面をする彼に分かったように頷いた。

確かに自分もこんなアナログなやり方は面倒だと思っていた。思っていたからこそ引越すのも更新を解除することも放棄したのだ。

それがあだになるとは半月程前のザックスには思いもよらないものだった。

ザックスが過去の自分を悔やみ始めた瞬間、一つの考えが彼の頭に浮かぶ。

突然輝いた瞳にセフィロスのいぶかしむ視線が突き刺さる。

けれどそんなことはものともしない様子でザックスはセフィロスに顔を近づけた。

セフィロスの腰が引けるのをものともせずに、彼は話を持ちかけた。

 

 

 

「あれが、俺の人生最大の失敗だったと言っても過言ではない」

ワイングラスをくゆらせてセフィロスが口火を切る。

そんな彼と向かい合うように座っていたザックスが「ひどい奴」と唇を尖らせた上で皿に並べられたチーズを放り込んだ。

僅かな酸味が口腔内に広がる。

上物のワインと、少し値の張るつまみ。それから目の前には愛しい人。

これだけ揃ってるのにどうしてお前はそう可愛くない口をきくんだ、とザックスが言えばセフィロスの眉が寄せられた。

「愛しい人、というのは誰のことだか」

「そんなん決まってんじゃん。お前にとっては俺で俺にとってはお前」

ウインクをしてみせるザックスに彼は深々と溜め息をついた後、掌で顔を覆った。

ついていけないという仕草なのだろうがザックスには通用しない。

本当に嫌だと言うのなら、セフィロスは何の躊躇いもなしに自分を追い出しているだろう。

そうすることが彼には出来る。

その容姿から非情だとか血が通っていないだとか思われていても、実際それが事実だとしても、それすらザックスは愛してやまない。

セフィロスをセフィロスたらしめんものならザックスは誰よりも愛していると自信を持って言えるだろう。

「お前部屋余らせてたんだしいいじゃねーか。それに俺が一緒に暮らした方が楽だろうが」

ザックスの言葉は事実であった。

セフィロスのマンションはたった一人で暮らすには些か広すぎるものだったし、彼と共に生活を送るようになってから

食生活は確実に上昇した。

不満など言ってしまえばキリが無い。しかしセフィロスもザックスもそれはお互い様だった。

一瞬落ちる静寂にザックスの静かな、それでいて熱の篭った声が流れ出す。

「そりゃあお互い嫌なとこもあるだろうけどさ、その辺は上手くやろうぜ。俺はお前と離れるつもりなんて毛頭ないんだし」

かち合った視線にザックスは笑った。

アルコールのせいか、その目元はほんのりと赤く染まっている。

きっと自分も同じだろうとセフィロスは思った。

だから、殊勝な言葉を口にしたところでおかしくはない。全て酒のせいにしてしまえる。

セフィロスはゆっくりと、区切るような口調で彼に同意した。

ザックスのまばたきの回数がやけに多くなり、いつも以上の笑みがその顔いっぱいに広がった。

 

「んじゃこれからもよろしくってことで」

「ああ」

二人、重ねたグラスの音がしじまを震わせた。