ある朝に

 

 

ザックスの瞳が開かれる。

白い天井が目に入った瞬間、鈍い頭痛が彼を襲った。

身体の節々が悲鳴を上げている。

その痛みは久々に感じるものだった。

固い床で夜を過ごした後に感じるもの。

視界に映りこむ転がった酒瓶にザックスは深い溜め息をついた。

身体の痛みよりも心の虚しさの方が強かった。

よろめきながらも彼は立ち上がり、その空き瓶を手に取った。

この頭痛は明らかにアルコールのせいだろう。

予定では今頃温かいベッドで柔らかな肌を感じていたというのに。

『他に好きな人が出来たの』

蘇る言葉にザックスの胸が疼いた。

特別好きだったわけではない。酒場で知り合って、そのまま事に及び、それが続いていただけのこと。失恋とも呼べない。

『だがお前は好きだったんだろう』

突然響いた声にザックスの相貌が大きく崩れる。

思わず辺りを見渡すものの、彼の目に映るのは普段と変わりない空間だ。

それが記憶の中だと思いついてザックスは自嘲の息を漏らした。

そしてもう一人、床で長い手足を持て余すようにして眠る男を思い出す。

「おいセフィロス」

呼びかけてみるものの彼は身じろぎもしなかった。

淡い虹彩を守る瞼はしっかりと閉じられ、それを縁取る睫すら微動だにしない。

再び起こしにかかろうとしたザックスの手を止めたのは昨晩の記憶だった。

 

散々飲み明かし、とうとう店主に追い出され渋々帰ったザックスを家主であるセフィロスは驚きを隠さないまま、

それでいて何も尋ねずに出迎えたのだった。

だからと言ってセフィロスが自分の差し出したグラスを受け取るとは思わなかった。

ザックスはアイツも嫌なことがあったんだろう、と思い込むことでその時の驚きをうやむやにした。

しかし本当は分かっていたのだ。彼が自分を思い付き合ってくれたことを。

けれど当座のザックスにそのことへの感謝など出来るわけがなかった。

とにかく彼を襲っていたのは言い様のない虚無感だったのだから。

言い訳のように「恋人なんかじゃなかった」と言い張るザックスにセフィロスが返した言葉は一つだけ。

「だがお前は好きだったんだろう。無理に否定する事はない、と俺は思う」

その時ばかりは遊び人の名を馳せていたザックスも唇を噛んだ。

嗚咽が漏れるに、そう時間はかからなかった。

女に振られたぐらいで泣いて、自棄酒をくらうなど冷静に考えると恥ずかしくなってしまう。

セフィロスより早く目が覚めたのはいいことだったかもしれないなとザックスは散らばった銀糸を踏まないように歩きながら思う。

彼が起きるまでにこの腫れた瞼はどうにか見られたものになるだろう。

多少の気恥ずかしさは残るだろうがそれとてセフィロスはからかったりはしない。

冷えたミネラルウォーターを取り出してまなこに当てたザックスの身体をミッドガルとしては充分な程の太陽が照らしていた。

そのすぐ後、微かな物音がしてザックスは視線をリビングに向ける。

何かがぶつかった音はセフィロスが出したものだった。

うっとおしそうに髪をかき上げるセフィロスの端麗な顔が現れた。

矢張り節々が痛いのかその動きはどこかぎこちない。

「セフィロス」

飛んでいた焦点がザックスで結ばれた。

「喉渇いてるだろ。水でも飲むか」

その問いに普段よりものんびりした口調でセフィロスが答える。

しかし放り投げたペットボトルを受け取る動作は緩慢としていなかった。

一口含み、セフィロスは立ち上がった。

その際、眉間に浮かんだ皺をザックスは見逃さなかった。

彼もまたアルコールの反抗にあっているのだと思うと、悪いとは思いつつ笑みが浮かんでしまう。

元はと言えば自分のせいであることは充分分かっているのだがこうして、他の仲間と同じようにセフィロスと朝を迎えたことが

純粋に楽しく、嬉しかった。

そんなザックスの心を知らないセフィロスは眠たそうに瞳を細めながら壁時計を見つめていた。

彼もまたつられてそちらへ目を向ける。

まだ、仕事までは時間があった。

セフィロスは呟く。

「俺はもう一度寝るが」

ザックスは首を振った。

「俺はいいや」

もう目が冴えてしまっている。再び寝れば今度こそ起きられないだろう。

「時間になっても起きてこなかったら起こしてやるよ」

その申し出にセフィロスは頷いた。それはないだろうが、という言葉を忘れずに。

そうして背を向け始めた彼に向かい、ザックスは声をかけた。

迷惑そうな顔をしてセフィロスが緩やかに振り返る。

「あのさ、悪かったな昨日。付き合わせちまって」

そう言うザックスにセフィロスの唇が開きかけ、結ばれた。

しかし蠱惑の声はすぐさま室内に流れ出す。

「お前は、気が済んだのか?」

突然の問いかけにザックスは未だに重い目を瞬かせる。

「気は晴れたのか?」

言い換えられた言葉にようやくザックスは彼の問わんとすることに気付き、慌てて首を縦に振った。

その仕草にセフィロスも鷹揚に頷いてみせる。

「お前の気が済んだならそれでいい」

ザックスの鼓動がその瞬間跳ねた。

口をついて出た言葉は謝罪ではなく感謝のもの。

ありがとう、と言われたセフィロスの口元が僅かに上がっていた。