いとし、いとおし
家事と名のつく作業は全てザックスが行っていた。
それはセフィロスと取り決めた約束ではない。
それに、セフィロスにも生活概念はあるのだ。ザックスが思っているよりもずっと。
しかし置いてもらっているのだからそれぐらいやる事が当たり前だと彼は考えていたのである。
セフィロスはセフィロスでザックスがそう言うのならと好きにさせることにしていた。
彼がこうと言えばてこでも動かない性格をセフィロスは幸か不幸か充分過ぎる程知っていたから。
そんな同居生活が始まってある日のこと。
ザックスが皿を割った。
テレビが流す古い映画音楽とキッチンから聞こえるザックスの調子の外れた鼻歌。
穏やかに過ぎるはずだった夜に破壊音が耳を貫く。
驚いたセフィロスはそれまで眺めていた雑誌から、ザックスがいるはずのキッチンへ視線を移した。
けれどその姿は家具に邪魔されヤマアラシのような黒髪の先しか映らない。
立ち上がり、そこへ向かったセフィロスが見たものは跡形もなく飛び散ったマグカップとその破片をせっせと集めている黒髪の持ち主だった。
彼から聞こえていた歌はもう、耳には届かない。
「そこ、危ないぞ」
一歩踏み出そうとするセフィロスを牽制する。
ザックスの声に彼の足は止まった。
「お前こそ危ないだろう」
セフィロスは欠片を集めるザックスの指先にふつりと赤い色が滲んでいるのを見逃さなかった。
「掃除機で吸った方がいい」
持ってくる、と言い残し踵を返そうとした彼の名をザックスは呼んだ。
一拍遅れてザックスが愛してやまない銀糸が背におさまる。
「いいんだ」
呟かれた意味をセフィロスは理解出来なかった。
「全部集めて元通りにしたいから」
繋がれた言葉にも反応は示せない。
ザックスはそんなセフィロスを尻目に淡々と細かいものから形を残しているものまで様々な欠片を拾い集めていく。
「そんなものまた新しく買えばいいだろう」
その姿が何処か痛くてセフィロスの口ぶりは冷たくなった。
けれどザックスは首を振って拒否を示す。
「これお前のだろ。ずっと使ってるのも知ってた。だから、そんな簡単に捨てるとか言うなよ」
瞳の青が強い力を放っていた。
その様に今度はセフィロスがかぶりを振った。
「だがもう元には戻らない。そんなになっては無理だ」
「無理だとしてもさ、やってみるだけやらせてくれよ」
そう言って彼は力なく笑う。
沈黙がその場を制した。そして黙々と作業を続けるザックスに影が落ちる。
顔を上げるとそこには目線を合わせたセフィロスがいた。
彼もまたしゃがみ込み、その白くたおやかな指先でクリーム色の破片を拾い上げる。
ザックスは何かを言いかけ、唇を引き結んだ。
そうして何分が経ち、何時間が過ぎた。
集めた残骸はザックスの言うまま本人に任せ、セフィロスは再び雑誌に意識を戻していた。
背後に気配を感じて彼は振り返る。
先程までのしょげ返った表情は何処へ消えたのか、ザックスは喜色満面だった。
その様に思わずセフィロスの瞳が見開かれる。
まさか、と思った。
あれだけ派手に壊したカップを修復させることなど不可能だと。
そんな心情を悟ったのかザックスの手がそれを差し出す。
元通りとまでは言い難かったが、充分に何であったのかを知らせることは出来る代物だった。
驚きのあまり口が利けなくなったセフィロスにザックスが笑いかける。
「な?やれるだけやったら出来ただろ?」
得意の口ぶりが何だか腹立たしくてセフィロスはぞんざいな応えを返す。
「だがこれでは元のように使えないぞ」
確かに彼の言うとおり、ザックスはその機能までは修復出来なかったようだ。
口をつける部分が綺麗にざらついた感触を残している。
これでは唇が傷ついてしまうだろう。
ザックスとて事実に気付いているようで鼻を鳴らし、セフィロスの手からそれを奪い取る。
「明日買ってくるって」
そんなザックスの不貞腐れる様子がセフィロスの頬を緩めさせた。
だから言っていたのかもしれない。
一緒に行くと。
驚きを隠さないザックスが「マジで?」と聞き直す。
それに頷くと彼はまるで幼子のような邪気のない笑顔をセフィロスに向けた。
「デートだな」
「それは違うだろう」
咄嗟に否定するセフィロスにザックスの腕が伸びる。
抱き締められたと理解した瞬間にはもう口付けられていた。
瞳を閉じる瞬間目にしたものは、ザックスの日に焼けた頬に残る小さな切り傷だった。
「ほら」
夜半、喉が渇いたと訴える恋人にザックスはベッドを抜け出してまで取ってきたミネラルウォーターを渡す。
それを受け取り喉を潤したセフィロスが横で大きな欠伸を噛み殺しているザックスに「そういえば」と問いかける。
「どうしてあんなに拘っていたんだ」
「拘るって何が」
「壊したカップのことだ。そこまで細かい男だとは思っていなかったんだが」
ああ、と頷いたザックスが頭を掻いているのが暗がりでも分かる。
その仕草は答えを渋っているのではなく、ただ思いを言葉にする術を探っているのだとセフィロスは知っていた。
だからただ彼が口を開くのを待つ。
「何か、さ」
セフィロスの手からボトルを奪い口に含む。
間接キスといった行為に嫌悪を抱かない自分にセフィロスは軽く溜め息をついた。
今まではそんなことなかったのに。
普段ならそんな溜め息の理由も聞き質そうとするザックスだが、今回に限ってそれはなかった。
彼は彼なりに考えながらセフィロスに伝えようとしているのだろう。
細い声が室内に響いた。
「俺、やっぱり縁ってあると思うんだ。人だけじゃなくてさ、物にもちゃんと。
だからお前があれを使ってたのにも何かしらの縁があって、そう思ったら何かあのまま捨てちまうのは悪い気がしてさ。
セフィロスにもあのカップにも。だから、出来るだけのことしたくて。お前は笑うだろうけど」
一気に口にするとそのまま彼はセフィロスに背を向けてしまった。
その背に向けてセフィロスは答えた。
笑わないさ、と。
それにザックスの身体が小さく跳ねたことをセフィロスは見てみぬ振りをした。
これ以上この出来事について問うつもりなどなかったし、
原因は分からないまでも普段は厚顔無恥と思われても仕方ない男が恥じ入っているのだ。
今日ぐらい皮肉を声に出さなくてもいいだろう。
出会った頃より幾分太くなった腕に絡めとられる行為によってセフィロスは自身の気持ちが伝わったことを知った。
伝わる熱がいつまでもあればいい。彼にも、自分にも。