Je reviens tout de suite

 

 

よし、と小さな声を上げてザックスはぐるりと部屋を見渡した。

必要であろうコーヒーメーカーなどは既に見つけやすい場所へ移動させてある。

出来るだけ自分が居ない間も困らないよう、お膳立てはしたつもりだ。

後は彼自身が下手に手を出さない限り何とか自分はこの状態の家に帰って来られるだろう。

湯の沸かし方すら覚束ない英雄の姿に唖然としたのはそう遠い記憶ではない。

こうして部屋を整えているのは他の誰でもない彼の為。

ザックスは自身の甲斐甲斐しさに苦笑しつつそれを不満に思っていないことに気付いていた。

メモ書きを残そうかと逡巡し、紙をテーブルに置いたものの結局彼がペンを取ることは無かった。

任務に向かう間にでも電話をすればいい。

愛しい人の声が聞きたいのは自然の理なのだから。

見送りなどしてはくれない一見すれば冷たい恋人にザックスは何度も深い溜息をついてはきたがもう離れられないことは知っている。

それならば無駄な争いは避けたいと思うのもまた自然の理。

ザックスはいつの間にか多くのことを望まなくなった自分を振り払うように軽くかぶりを振った。

 

玄関に立ち、ブーツの靴紐を締める。僅かな窮屈さが逆に身を引き締める。

扉を開けば自身はソルジャークラス1st

例え英雄とはいかなくとも人の上に立つ立場なことに変わりはない。

今まで存在しなかった重圧を背中に感じながらザックスは顔を上げた。

時折その重み全てを投げ出したい思いにかられることもある。

だからこそ、今惰眠を貪っているであろう男の心を計ることは簡単だ。

休日ぐらいゆっくり休ませてやりたいとザックスは思う。

思うからこそ、出来るだけ物音を立てないよう立ち上がる。

「ザックス」

唐突にかけられた声にザックスの背が跳ねた。

慌てて振り返る先には寝ぼけ眼のセフィロスが壁に体重を預けながらその場に立っていた。

「どうした。お前」

起こしちまったか?という問いかけに彼は緩やかに首を振った。

散らばった髪が顔にかかる。思わずザックスはその髪に手を伸ばし、払う。

「すまない」

そう言うセフィロスの声はくぐもっていた。

まだまだ寝足りないと彼の全身が物語っていて、ザックスの顔に苦笑が広がった。

「眠いなら寝てれば良かっただろ?あ、まさか俺の見送りとか?」

冷ややかな一瞥を送られると思っていたのからこそ、覗き込んだセフィロスの眼が細く歪む様にザックスは驚きを隠せなかった。

セフィロスが何を思って起きだしたのかザックスには知る由もない。

問うことは簡単だったが、必死で欠伸を堪えている彼の姿を目にすればそんな事はどうでもよくなった。

自分の為に起きてくれたのだと、それだけでいいではないか。

甘い夢をわざと消すような真似はしたくない。

「セフィロス」

呼びかければまだ起きぬけの、しどけない瞳が自分を映す。

小首を傾げ言葉の継穂を促すセフィロスを心から愛しいと思うことに何の問題があるのだろう。

一度開いた唇をまた結んで、ザックスは笑った。

伝えたい想いは言葉にならず、ただ舌の上で転がるだけ。

「じゃあ、また」

そんな当たり障りのない言葉を選んで、ザックスは扉に手をかける。

急激に入る日の光に彼は反射的に目を閉じ、背後にいる想い人に気をかけた。

まぶしかっただろう、「悪かった」と言いかけた声は振り返った途端に消える。

朝日は彼を、セフィロスを輝かせ、その姿を目にするザックスにどうしようもない程の感情を揺り起こした。

元々薄い色味が益々失われ、儚さが増幅する。

気付けばその背を掻き抱いていた。温もりだけがザックスの心を落ち着かせることが出来る。

「お前がなんで見送りはいらないってあんなに言うのかが分かった。これじゃあ、堪らない」

目を見てしまえば、言葉を交わしてしまえば、離れることが辛くなる。

『また』だなんて、そんな言葉を信じられるような純真さはいつの間にか無くしてしまった。

いつだってこれが最後の会話かもしれないと、よぎる思いに蓋をして今までやってきたのに。

本当に、これでは任務に向かうことすらままならない。

そんなザックスの心情にセフィロスが気付かぬはずはなく、僅かに生気が戻った声音が響きだす。

「俺は、消えたりはしない」

見上げるザックスの先にはいつも通りの涼しい端麗な顔があった。

「いなくなればどこぞの誰かが煩いからな」

まるでからかうような口調に、たったそれだけの言葉に、胸に巣食った不安が溶けていくのを感じる。

「どこぞの誰かさんはそれだけお前のことを大事に思ってるんだろうよ」

憎憎しげな声を出すもののその目は笑っていて、つられたのかセフィロスの口角が上がる。

「重いとか言うなよ。どっかの誰かが泣いちまうから」

「それは心配する必要ないだろう。残念なことにそれが心地よいと思う程毒されてしまった」

だから、とセフィロスが呟いた。

 

扉が微かな金属音を立てて閉まる。

バスターソードを持つ手が震えているのは外気の寒さによるものではないだろう。

だってまさかあんなこと。

ザックスは先程セフィロスに言われたことを反芻する。

 

死ぬな

 

たった一言の言葉がこんなにも胸を抉っていくなんてザックスは思いもしなかった。

零れ落ちそうになる感情の雫を唇を噛み締めることで堪え、小さく息を吐く。

彼がいる限り自分は『また』を信じられるだろう。

いつかの話をすることだって、許されるだろう。

誰もが口にする『未来』を帰ってきたら話し合おう。彼と共に。