遠かざる夢
柔らかな陽光がコスタ・デル・ソルの地を輝かせる。
降り注ぐ光を浴びるセフィロスの頬は驚くほど白い。
焼けたりしないんだろうな、と思ったザックスは一つやれやれという溜め息をついた。
最近は見るもの、触れるもの、果ては人づての話ですら彼を思い出している。
何かがあるなら教えてあげたい。楽しい話なら共に笑いたい。
あの仏頂面がほんの少しでも和らぐならいくらでも馬鹿話をしよう。
これが恋だとは思わない。
けれど、それが愛ではないと言い切ることがザックスには出来なかった。
せめてもの救いは部屋が違うことにさほど落胆していないということか。
当たり前と言っては当たり前の話だ。
だって二人は思いを重ねる間柄ではないのだから。
流石神羅カンパニー、と賞賛を心の内で送る程用意された宿泊地は一目で高級と分かるところだった。
自分には似合わないことをザックスは素直に理解する。
まぁ、こいつは流石に堂々としてるもんだけどな。
ザックスはじりじりと焼け付く太陽を浴びても涼しい表情を崩さないセフィロスの横顔を盗み見る。
「何だ?」
ふいに彼の瞳に映りこむ自身の姿にザックスは上気しそうになる頬を隠しながら笑いかけた。
「男二人でリゾートっていうのも空しいもんだな、と思ってさ」
唐突に浮かんだ言い訳をセフィロスはその場にふさわしいと感じてくれたようだ。
微かに浮かんだ苦笑がザックスの心を締め付ける。
コスタに行こうと誘ったのはザックスからだった。
元々は当時『オツキアイ』をしていた彼女と共に行こうと取ったチケットだったのだが、
結局その『オツキアイ』が消えた瞬間それは無駄になってしまった。
キャンセルしようかとも考えたのだが、それはそれで勿体無い。
考えあぐねた結果「バカンスというものを経験したことがない」と言い放ったセフィロスを連れて行くことにしたのだった。
理由はそれでも今となってはセフィロスと彼女、どちらと過ごしたかったのかは分からない。
気を遣わずに済むということではセフィロスと共に居た方がバカンスの正しい過ごし方だったのかもしれなかった。
「それじゃあまた、な」
隣室であることを素直に嬉しいと思う。
「ああ」とセフィロスが頷いてくれることも。
室内に足を一歩踏み入れると爽やかな風がザックスの頬を撫ぜていく。
それがリゾート地特有の大窓のおかげであることはすぐに気付いた。
今頃セフィロスもこの風を感じ、感情のさざなみを落ち着かせているのだろうか。
ミッドガルとは違う空気に彼もまた心を洗われていればいい。
感情を表さないと言われる英雄でも、疲れはあるしそれを隠せる程超越しているわけでもない。
それにザックスが気付いたのはつい最近のことだったけれど。
再び彼のことを考えている自分に気付いたザックスは呆れたように顔を顰めた。
これではまるで恋ではないか。
セフィロスに恋だなんてそんなこと、有り得ない。
まさかそんな、彼は一人ごちて何かを振り切るようにベッドへ沈み込んだ。
それは日頃の激務に堪えていた身体を包み込み、その柔らかさに誘われるままザックスは瞼を閉じた。
気付けば、潮風は宵始めの風となっていた。
貴重な休日をほぼ寝て過ごしたことで寝起きのザックスを自己嫌悪が襲う。
「まあこれもある意味いい休みなんだろうけどさ」
そう一人ごちるほど。
いつになく取れた睡眠時間は逆に僅かな疲労を彼に与えたようで、ベッドから離れたザックスの頭は未だによく働いていない。
そう言えば、隣室の男はどうしているだろうか。
セフィロス。
同じソルジャー、いやそれだけではなく同性であることすら疑ってしまうような白磁の肌。
それを際立たせるような小さな朱唇。
一度戯れに触れた白銀の髪は驚くほど滑らかだった。
自分を見据える星の瞳は―
俺は何を考えているんだか。
ザックスは自嘲するように唇を持ち上げ寝乱れた髪を掻き上げた。
彼が夕食に同僚を誘うかどうしようか考えながら冷えたビールを呷ったその時、控え目なノックが耳に届いた。
「はい?」
「ザックス、俺だ」
その声は流れる鈴のよう。
瞬間、胸が高鳴ったことにザックスは気付かない振りをした。
そう、これは恋ではないのだから。
一つ息を吐いてから開けた扉の先には平常の彼とは異なる装いのセフィロスがいた。
当たり前と言っては当たり前なのだが、そのラフな格好にザックスは僅かに動揺していた。
勿論ザックスは普段、お仕着せのように着られている黒の革コート以外のセフィロスなど飽きるほど見ている。
それなのにこんなに胸をざわめかせるのはミッドガルから遠く離れたから、そうであるはずだ。
ザックスはこちらの戸惑いなどとんと気付かないセフィロスに笑いかけた。
セフィロスはと言えば僅かに首を傾げながらもその視線は穏やかである。
「で?何かあった?」
ザックスの問いかけに彼は思い出したように「ああ」と一人頷く。
「ここの近くに旨い店があると聞いた。もし良ければ一緒にどうかと思ってな」
セフィロスの思ってもみない誘いにザックスはその青い瞳を瞬かせた。
一瞬の沈黙をセフィロスは勘違いしたのか「お前がこんな場所で一人になるわけがないか。すまない」と見当違いの言葉を吐く。
そう言って踵を返そうとする彼を止めたのは勿論ザックスだった。
振り返るセフィロスの髪の柔らかさを確かめたい衝動に駆られる自分に気付かない振りをするのはその思いを受け止める勇気が無いからだ。
「俺も今、晩飯誘いに行こうと思ってたんだ。一緒に行こうぜ」
快活と呼ばれる笑顔をこんなにも役に立つと思ったことはない。
ザックスの笑い顔は心の内を隠すに一番の逃げ道だった。
だからセフィロスもまた、彼に微かな笑みを返す。
連れだって歩くと香るセフィロスの僅かな匂いを感じる距離に居られることに、ザックスは軽い優越感を覚えていた。
そして夜は帳を下ろし、二人はザックスの部屋で酒杯を重ねている。
リゾート地特有の籠った熱気が盛り上げるのか、普段より酔いの回りが早い。
それはセフィロスも同じようで瞳に柔らかなとろみが見て取れる。
ザックスはそこに感じる情欲を悟られないよう、酔いのせいにして言葉を紡ぎ続けた。
他愛ない噂話にセフィロスは笑い、時に怒り、諭すような反応を返す。
その全てにザックスの胸は跳ねる。
いつの間にか酒量はたかを外すに充分な量となっていた。
重なった笑い声の波が引く瞬間、ザックスの唇が思いがけない言葉を吐いた。
「キスしたい」
セフィロスは「誰と」とからかいの視線と共に疑問を向ける。
「お前と」
見開かれる瞳を、見て見ぬ振りをしてザックスはカウチに寝そべっているセフィロスの元へと移動する。
「どけよ」
素直にその長い足をどかし、ザックスを受け入れるスペースを作ったことにそれを希望したザックス自身が驚いた。
しかしそんな感情を悟られないよう、すました顔でセフィロスの露わになった足首に手を伸ばす。
あくまでそこに欲など感じないのだというようなさり気なさで。
「ザックス」
「うん」
ねめつける魔晄の瞳に入り込んだ抗議の色がザックスの手を止めさせた。
降参、というように両手を上げたまま彼はセフィロスから身体を離す。
その背中にセフィロスの声がおもむろに届いた。
「相当酔ってるな」
「ああ、そうみたいだ」
そんなことはない。酔いのせいにしたけれどお前にキスしたいって言ったのは本音だ。
そう言えば彼はどんな表情をするだろう。
けれどザックスがそれを目にすることはない。何故なら彼がその言葉を口にすることはないからだ。
「もうこんな時間か」
そんなザックスの心境など露ほど知らないセフィロスは視線を壁時計へと移し、呟いた。
その言葉には言外にもう寝ろという意味も含まれている。
「ザックス」
「うん」
「お前、泊っていけ。そんな酔っ払いを放り出したらどんな被害を生むか分からないからな」
「一緒に寝てくれんの?」
「馬鹿か。ベッドを貸してやる」
「お前は?」
「俺はここでいい」
几帳面なセフィロスのこと、いくら広々としているとは言えベッドではない場所で睡眠をとることを良しとはしないのだろう。
ここは戦場でも何でもないのだ。
「―動くのが面倒だって素直に言えよ」
ザックスがベッドを使えばセフィロスは自然とカウチで寝るしかなくなる。
誰に対しての言い訳でもないのだろうが、それはセフィロスの安眠を誘うものなのだろう。
ザックスの言葉にセフィロスは口元だけで笑って見せた。
確かにうわばみと称されるザックスでも今このまま眠れるなら意識を手放したいぐらいだ。
セフィロスの気持ちも分からないではない。
何よりセフィロスがこうしてザックスに甘えているこの状況が彼を酔わせている一番の理由であった。
氷が溶け、ただの水となってしまった酒をそのままとし、ザックスは立ち上がる。
セフィロスはそれをただ黙って見つめるだけ。
潔癖症だろお前。
ザックスが以前揶揄したセフィロスはこの日何処にも存在していなかった。
「じゃあ遠慮なくベッド借りるぜ」
「ああ」
「おやすみ、セフィロス」
「―おやすみ」
セフィロスは既に船を漕ぎ始めているようだ。
言葉のやり取りに僅かな隙間が生まれ始めていた。
そんなセフィロスにザックスは小さな笑いをその顔に浮かべる。
去り際、思い立って、一度振り返るとセフィロスは心地よい寝息を立て、その身を休ませていた。
「セフィロス」
呼びかけても反応は無い。
その時、何故ザックスが彼の元へ戻ったのか彼自身にも分かってはいないだろう。
それはいうなれば本能であった。
上下する胸と僅かに開けられた唇に抑えきれない欲望が沸き起こる。
先程の戸惑いに満ちた表情が思い返され、ザックスは近付けていた唇をすんでの所で押しとめた。
彫像のように整った、非の打ちどころのない造作が視界に広がって思わず息をのんでしまう。
起こさないようそっと輪郭をなぞれば細やかな肌理の感触が手に残る。
ああ―
ザックスは心の内で諦めの息をついた。
それはずっと否定していた想いを認めざるを得なかった為。
そう、自分は彼に、セフィロスに恋をしている。
ザックスはそれを認めた瞬間、再び彼へと唇を落としていた。
今度は戸惑うこともなく。
それは身勝手だと知っていた。感情の、欲望の押し付けであると知っていた。
けれど一体どうして恋しい相手を前にしてじっとしていられるのだろう。
ザックスはそれがただの言い訳に過ぎないことを理解していたけれど、セフィロスに恋をしていることは言い訳の出来ないことだった。
いつかセフィロスが自らの意思で口付けを交わせる日が来ることを願いながら、ザックスはもう一度、何度となく彼の温もりを味わった。