夕べの祈り

 

 

 

外はオレンジ色の光に包まれていた。

セフィロスの銀糸はその日に照らされてうっすらと色味を増している。

風がその髪を、頬を、撫ぜた。

その誘いに乗るように彼は瞳を僅かに細め遥か彼方の何処かに視線をやる。

魔晄都市から見える世界はそう広くはない。

最近同居人の話によく出るようになった花売りの少女は「空が近い」と言っているようだがそれはただの幻想だ。

上と下、プレートで阻まれた街のどちらが住みやすいのかだなんてそんなことも、恐らくは愚問に過ぎない。

スラム街を話題にのせるザックスも本当は気付いているはずだった。

結局どちらも住みやすさなど変わらないことを。

問題はその者の心次第で、『住めば都』という言葉もあるぐらいだと彼は思う。

 

思えば自宅だというのにベランダからこうして外を眺めるのは初めてだった。

支給品の決して美味くない煙草に火を点け唇に挟めば紫煙が空の橙に吸い込まれていった。

肺に煙が落ちる感覚にセフィロスは眉を寄せる。

セフィロスは煙草に依存しているわけではない。

戦場で、身体を寄せ合ったその後で、無意識に求めることはあっても決してそれが無ければ落ち着かないわけではない。

それなのにどうしても、緩やかな自殺と称される行為をしなければならない時がある。

それが今、この瞬間だった。

喉に張り付くような靄が彼の息を深くさせるがそれが煙草だけでないことも彼はよく知っている。

セフィロスはミッドガルを離れたことがなかった。

勿論、任務ではいつでもあちこちに出かけている。そうではなく、自らの意思でこの場所を、神羅を離れたことがなかった。

そしてきっと離れられないだろうと彼自身が思っている。

ならば自分はここで朽ちるのだろうか。

一番ありえそうな死に様を思い描いてもその光景はセフィロスの胸に安堵はもたらさなかった。

戦場で死を迎えることはないだろうと思っていた。誰にも、何者にも負けるはずはない。

それは驕りでも何でもなく、ただそこにある真実だった。

ならば自分は何処で終わりを迎えるのだろう。

一つ、二つ輝きを増していくビルの篝を視界の端で感知しながらふとセフィロスは思う。

そして自分が死んだ時、彼はどうしているだろう。

泣くだろうか、それとも怒るだろうか。

そのどちらもありありと想像が出来て、セフィロスの小ぶりの、それでいて形の良い唇が歪む。

 

どうして俺は、奴が先に死ぬことを考えなかったのだろう。

 

単純に考えれば先に逝くのはザックスだった。

圧倒的に力の差が違うことを当のザックスもよく分かっていたのに、

それなのにセフィロスが考えたことは彼が少しは悼んでくれるだろうかということだった。

言い訳なら幾らでも出来る。けれど、その言い訳を口にする相手は今この場にはいなかった。

 

 

ザックスは何処にでも行けるだろう。

その足で、その腕で、自由に選択出来るだろう。

それがセフィロスにはひどい裏切りのように思えた。

馬鹿だな、と思う。決してザックスは自分の所有物ではないのに。

いつだってそうだった。

世界はいつでも自分のモノかそうでないかの二つだった。

見返りが無ければ何も与えられないし何も受け入れられない。

そんなセフィロスを映すザックスの切なげに揺れた瞳は彼に苛立ちを与えた。

深い、深い息を吐く。

手元の煙草は既に短くなっていた。

灰皿なんてものは無いから、昨晩ザックスが空けたビール缶にそれを入れる。

ジッという火が水に飲み込まれる最後の音を聞きながらセフィロスはそっと瞼を閉じた。

いつの間にか風は冷たくなっていた。

季節は刻々と移ろいでいくのに、一体自分は何をしているのか。

こうしていると頭の奥、決して手を伸ばしてはいけない部分にまで考えが及びそうでセフィロスは軽い舌打ちをすることでそれを戒めた。

触れてはいけないのだと彼の本能が叫んでいた。

 

空き缶と煙草を持ってセフィロスはリビングへと戻る。

その時「ただいまー」というやけに間延びした声が彼の耳に届いた。

どうやら今日も花売りの少女に会っていたらしい。満足そうな笑みと身体から香る花の甘さがセフィロスにそれを伝えた。

そしてその匂いが今日はやけに強い、気がする。

「あ、気付いた?」

嬉々とした表情を浮かべながらザックスがおもむろにセフィロスに差し出したそれは、小さいながらもれっきとした花束という奴だった。

素朴な白の花が一つにまとめられ、淡いピンクのリボンが結ばれている。

怪訝な顔をするセフィロスにザックスは得意気に「ミッドガルはお花でいっぱい、財布はお金でいっぱい計画!」と白い歯を見せる。

「何だそれは」

「いいアイデアだろ?ミッドガルが花で埋まったらその分金も入ってくるし、ミッドガルも綺麗になるってこと。で、最初はお前にプレゼント」

ほら、と差し出す花束をセフィロスが戸惑いに満ちた瞳で見つめていた。

それに痺れをきらしたザックスが無理やりその手に握らせる。

白い花は雪花の手と合いかさなって、ますます可憐さを増したようだった。

「上の街は怖いっていうからさ、まだしばらくはスラムでやろうと思うんだ」

予想外の贈り物に立ち竦んだままのセフィロスの手から空き缶を奪ったザックスの眉が一瞬寄せられる。

「俺がどうこう言える立場じゃねーけどお前最近吸う量多くないか?」

空き缶の中身に気付いたのだろう。呆れたような目が彼を射る。

「何かあるなら話せよな。あんま抱え込むといつか破裂するぞ」

真摯な瞳に誰が言えるというのか。

自分の思い通りにならないお前に腹が立つ、と。

「セフィロス?」

声色に緊張感が滲んだことに気付いたセフィロスの首がゆっくりと振れられた。

柔らかな髪が微かに揺れ、それを助長するように宵始めの風が室内に入り込む。

寒いなと呟き、窓を閉めにかかるザックスの背を追うセフィロスの唇から憂いの息が漏れた。

「どうした?」

耳ざとくそれを聞いたザックスが振り返る。

それを隠すように「これは水に入れといた方がいいのか」と花を上げて見せると、彼は「あー」と一瞬考え込んだ後、頷いた。

花瓶などこの家にあるはずもないから、セフィロスは適当に深さのあるグラスに水を注ぐ。

果たして水道水で大丈夫だろうかという考えがよぎるけれども、どうせ一週間ももたないだろう。

土から離されてしまえばもうそれの終わりは見えている。

 

「入れすぎ」

唐突に横から聞こえる声と触れる手にセフィロスは微かに息をのんだ。

見ればグラスの表面ギリギリまで水が張っている。

それまでその空間を支配していた水音が止まることで二人の間に沈黙が流れた。

「ホントはさ、苗から持ってきてやりたかったんだけど俺達じゃ育てられないだろ?ちゃんと水あげたりとか出来ねーし。

だから摘んじまったんだけどちょっと罪悪感あるな」

そう言って苦笑するザックスにセフィロスは「ならどうして」と問いかける。

「だったらそのままにしておけば良かっただろう。俺はこんなもの貰っても困るだけだ」

「うん、お前ならそう言うだろうなーって思ってた」

睨み付けるセフィロスを映すザックスの瞳は優しい。

「実はこれ、エアリスからなんだ」

「エアリス?」

「花売りの子。ほら、話しただろ?スラムに可愛い子がいるって」

「ああ―言っていたな。珍しくお前がまだ手を出してないと社内でも噂になっていたが」

その言葉にザックスの唇が尖る。不機嫌を隠そうとしない彼にセフィロスは小さく笑った。

「俺とエアリスはそういうのじゃないんだよ」

それがどういった意味合いなのかセフィロスに分かるはずもないけれど、それだけ大事に思える相手がいることは良いことなのだろうと思う。

「お前のこと話してたら渡してくれって。心配してた、お前のこと」

何故とセフィロスの瞳が物語っていた。

どうして自分が見ず知らずの少女に心配などされなくてはいけないのか。

そんな感情を分かっているといった風にザックスが軽く頷く。

「お前がどう思ってるか俺には分かんないけど、俺もエアリスも、他の奴だって皆セフィロスの力になりたいって思ってる。

お前は、一人なんかじゃない」

不意の告白にセフィロスの思考が止まる。

一人で全て抱えることを当たり前じゃないと気付いたのはいつからだっただろう。

それをこの男が、ザックスが気付かせた。

関わらなければそのままの、英雄セフィロスでいられたのに。

 

 

自分がこんなにもザックスに苛立ちを覚えるのは同じ思いを共有出来ないからだと彼は知っている。

同じように思えない感情はただ、互いにとって重荷でしかない。

それでもいつか同じように思える日が来ることを信じてみたかった。

ザックスの幸せを心から喜べる日が来ることを信じたいと思った。

それが出来ればきっと、自分も何処にでも行けるのではないか。

そっと向けた視線の先で太陽がその姿を隠そうとしていた。