貴方が幸せの具現だったのだと

 

色恋は自分を駄目にするだろう。

実際は想像するしかなかったが、恋愛とは一人を特別視することだ。

それは決して自分を救いはしないと彼は本能で知っていた。

それなのに今、彼は握られた手に愛おしさを感じている。

「好きだ」と恋われる声に胸を震わせている。

 

彼はその手を戸惑いながらも掴み取った。

陽だまりの匂いがする恋人の側では何もかもが暖かかった。

ああ、これが幸せなのだと彼はその言葉の定義を知らされることとなる。

けれどそれを知ることは彼にとって本当に幸せだったのだろうか。

 

恋人は最期の瞬間も笑っていた。

呆然とする彼を見て笑っていた。「泣くなよ」と言い残し。

恋人の血は温かかった。低い体温の彼を慰めるよう、暖めるように。

 

色恋は自分を駄目にするだろう。

恋人はそう苦々しげに呟く彼にそんなことはないと首を振っていた。

駄目になったとしてもそれはそうなるべくしてなったのだと。

誰も完璧なお前なんか望んじゃいないと。

彼は今、かつての自分が正しかったことを思い知っていた。

恋人がただの肉と成り果てた瞬間、彼の心は痛みで悲鳴を上げていた。

彼は今、不幸であった。

しかしそれはかつての彼には理解すら出来ない感情だったはずだった。

ああ―

小さく彼は息をはく。

不幸であることを知ったのは幸せの記憶があるから。

そうでなければ誰が不幸だと思うのだろう。他人ではない。感情を決めるのは自分でしかないのだ。

だから彼は今、生き延びたこの瞬間、確かに不幸であった。