愛している
深夜1時。
天下の神羅カンパニーもそのほとんどの機能を眠らせる時刻にどうして自分はこんな紙の束に向かわなくてはいけないのだろう。
限界まで訪れた眠気を覚ます為に訪れたリフレッシュルームで彼は思いがけない人物を目にした。
「顔が死んでるぞ、と」
一人、沈んだ面持ちでコーヒーカップを握っている男に声をかければ彼は弾かれたように顔を上げた。
「気配も感じられないなんてソルジャークラス1stの名が泣くぞ、と」
「うるせえな」
これは珍しいとレノは思う。
最初からここまで突っかかるような態度をとられたことはなかった。
自身もまたインスタントコーヒーの不可解な甘さに眉を寄せながら彼の前の椅子を引く。
普段なら生気に満ちた瞳は重く、疲れた相貌は隠せない。
仕事仲間以上、親友未満の関係はこの状況を放っておくことを選ばなかった。
「随分荒れてるな」
レノの言葉にソルジャー、ザックスは僅かに自嘲するような笑みを浮かべた。
「お前は?また始末書か?」
ふざけた口調に「神羅カンパニーに貢献した証だぞ、と」と言ってやればザックスが小さく笑う。
最小限に抑えられた電光が不健康な白さに彼を照らしていた。
「あの美人さんと上手くいってないのか?」
ザックスは目をむいて、それが正しいことをレノに知らせる。
「だから最初から言ったのに。英雄に手、出したらこっちがまいっちまうんだぞ、と」
取り出した煙草を差し出すとザックスは短く礼を言い右手で受け取る。
二人が吐き出した紫煙が溶け合い、夜の空気に紛れていった。
「アイツのことちゃんと好きなんだけどな」
煙と共に呟いた声は思ったよりも暗く、真実に近いものだったからそれを聞いたレノは勿論、言った本人も苦笑を隠せなかった。
「上手くいってないとかじゃ、ないんだ」
「じゃあ?」
「好きなのに一緒に居ると疲れる」
疲れる、という言葉をレノが聞いたのはこれが初めてだった。
「疲れるっていうかよく分かんねーんだ。アイツのこと。好きなのは変わらないのに。
何考えてるか分かんないからどうしたらいいのかも分からない」
弱音を吐く相手は自分ではないだろうとレノは思う。
少なくとも自分は酒に酔い、女の品定めをし、バカ騒ぎをする相手にはふさわしいがこんな真剣に心を曝け出していい相手ではない。
それはザックスも分かっているのだろう。それなのに今はプライドも何もかも捨てて、心情を吐き出している。
レノは小さな溜め息をついた。
「お前はよくやった方だと思うぞ、と。あんな気難しいのを相手にするのは疲れて当たり前だ」
レノの言葉にザックスは緩やかに首を振って否定した。
「セフィロスと別れたいとかじゃないんだ。アイツのこと嫌いになんかなれないのは分かってる」
「なら」
「でも、一緒にいればいる程疲れてるんだ。お互い」
意外だった。
英雄と共にいる時のザックスはいつも誇りと幸福感を全面に出していたし、それは彼も同じように見えたから。
「俺は一緒に居られればそれでいいって思ってたけど、そうじゃなかった。アイツが一つ許してくれる度にもっと、もっとって望んでる」
「それは付き合ってれば当たり前のことなんじゃないのか?」
「でも、それはセフィロスにとって重荷だろ」
「…」
「アイツが望めば俺は何だって差し出すつもりだよ。だけどアイツは何も望まない。
俺に何かしてほしいなんてこと一つも思ったりしないんだ。そういうズレ、が溝になってる。
きっとアイツも気付いてる。だから最近は会話も無い」
「お前達一緒に暮らしてるんだっけ?」
こくりと頷いたザックスは漏れる溜め息を押さえようともせず、呟いた。
「俺に気を遣うセフィロスなんか見たくなかった」
「夢でも見てるんだろ。セフィロスだって人間だ。お前のこと好きならお前に気を遣ったりするのは当然だと思うぞ」
「でもそんなセフィロスは見てて痛々しい。俺はアイツに、セフィロスに幸せになってほしいだけなんだよ」
俺なんかの機嫌を取ろうとするセフィロスが幸せなはずないじゃないか。
吐き出された心は棘となってレノの、ザックスの胸を刺した。
じくじくとそこが痛む。
セフィロスはセフィロスなりに彼のことを思っている。それはザックスが一番分かっているだろう。
けれど、それをザックスは受け入れない。そしてセフィロスはそんな彼を見て戸惑っているのだ。だから、互いに傷付いている。
「何度も何度も話し合った。分かり合えるって信じて。でも分かったことなんてお互いの考えのずれだ。
そんなんで一緒に暮らしてても幸せって言えるのか?」
ザックスが投げかけた問いにレノは何も答えなかった。答えられなかった。
その後仕事を切り上げた彼は気の抜けたザックスを連れ、行き着けの酒場へと足を向ける。
案の定神羅のソルジャーは普段より早いピッチで壜を空け延々と飲んでは愚痴とも惚気ともつかない言葉をはき続けた。
こうなることを予想していたとは言え、流石に鍛え上げられた身体を支えるのは難しい。
意識を半ば失っているとなれば尚更だ。
適当なベンチにその体躯を放り出すとレノは魔晄の光に照らされる見慣れた空へと顔を向けた。
傍らで悪友が恋しい名を呼ぶのが聞こえる。
この状況を見たならその名の持ち主は一体どんな表情を浮かべるだろうか。
それがいつまで経っても想像出来ず彼の薄い唇が一つ重い息を吐き出した。
好きだという感情で全てが済まされる時代はとうの昔に終わってしまった。
愛しているという言葉で全てが許される頃もとうに過ぎ去ってしまったのだ。
一人よがりの思いよりずっと、擦れ違う心の方が虚しい上にどうしようも出来ないのかもしれないと彼は一人呟いた。