春が終わった日

 

 

少年は何の変哲も無い子供だった。

農園主の子として生まれたこともあって裕福だったとは言え、それは周囲と隔絶するようなものではなく、ごく些細なものであった。

両親と友人がいて、先人達が残した言葉を紡ぐ毎日。

そんな日々に単調さを覚えこそすれ、どうしてもという強い外界への憧れは持ち合わせていなかった。

だから彼の友人は少年が初めて示した執着に驚きと、そして僅かな好奇心を小さな胸に巣食わせた。

付いていくと決めたのはただその相手を見たかったからだったのかもしれない。

そして少年達は青年になった。

 

彼にとって英雄は英雄であると共に神であった。

この世の祝福全てを浴びたような美しさに彼は息を止めた。

昔母が口にした聖人とはこのことだったのだと彼の胸は歓喜に震え、

緩やかに鼓動する心音が聞こえるほど近くに居ることを許された自分が誇らしくもあった。

とは言ってもかつての少年に独占欲があったわけではない。

自分一人が側にいるだなんてそんなことを望んでいたのではない。

彼はあくまで公平であり、世間というくだらない、それでいて抗えない糸に唯一囚われない人であった。だから神であったのだ。

英雄は、神であるその人は絶対的に孤独でなくてはいけなかった。

孤独でなくては神とは呼べなかったのだ。

いくら任務を共にしても、いくら互いの話を口にしても彼等には決して踏み込まない一線があった。

それが、青年の心の平穏を保っていられる理由の一つでもあった。

「歪んでいる」と青年の友人は呟いたこともあったがそれは当の本人が一番分かっていた。

 

英雄が少しでも自分と同じ部分があれば彼とて自分の執着を今頃笑って酒の肴にしていただろう。

けれど英雄は、セフィロスは、青年には到底辿り着けない世界に存在していたのである。

近付けば近付く程にその差は歴然と青年に降りかかってきた。

安堵と同時に覚えた絶望は彼の心の平穏を保つには必要な薬であった。

それは英雄から贈られたたった一つのものだった。

 

 

「―ス」

突如耳に届いた情欲的な声に青年は衝撃を受けた。

英雄だけに与えられた執務室は誰でも入ることが出来る。

いくら青年達が鍵をかけろと忠告したところで彼はいつも話半分で聞いていた。

だから、こうして青年が僅かに扉を開いたところで青年の責任は半分で済んだだろう。

否、その瞬間青年に与えられた苦痛を鑑みればそれを責められることは出来ない。

 

縋り付くように回された手

辿る指先

切なげに寄せられた眉

 

全身が相手への切情を訴えていた。

震える掌で扉を閉める青年が最後に聞いた言葉は、友人が可愛がっている子犬の名であった。

 

 

アンジール、俺の神が死んだ。

青年は昔馴染みにこう語ったという。