海辺の墓地

 

 

                                     吹きすさぶ風に潮の香りが混ざっている。

セフィロスの長い髪はその風に弄ばれ、そこに彼の意思はない。

しかし明け方の太陽に晒された水面を美しいと思う心はあった。

砂に膝をつけ、濁りのない水をすくう。

 

指先の血がこびり付いていた。

誰のだっただろう。

敵だったか、あるいは味方か。

考える余地もなかった。そんな余裕はなかった。

生きることを捨て、己が信じる神の為にと戦う人間に勝てる道理はなかったのだ。

自分が今呼吸し、海水の冷たさを感じられるのもただ、類稀なる強さがあったから。

それ以外に何かがあったとすればそれはただの運だろう。

淡白だの、冷淡だのと評され、また自分でもそれを理解している彼でも

墓地と化した戦場に生気を失った者たちと残ることは耐えられなかった。

一体何人が生き残っているだろう。

これからの手続きと、彼らの絶望に満ちた表情を考えるとセフィロスの唇から自然と溜息が漏れた。

 

閉じた瞼に日の光が痛いほど突き刺さる。

ざくり、と砂を踏んだ音が背後でしたがそれに身構えることはしなかった。

「セフィロス」

呼ぶ声の主を彼は良く知っている。

ざくざくと音を立てて近づいてくる男がのぼらす血の臭いが潮のそれを奪っていった。

 

「探した」

短く呟く声が震えている。

セフィロスは横目でその姿を見、彼もまた自分と同様赤に染まっていることを知った。

「鎮圧したか」

ここでこうしているということの結果は分かり切っていたがそう問いかけるのは会話の糸口を掴みたいから。

「ああ」と頷いて、相手は強くセフィロスの身体を胸に抱き寄せた。

生きている鼓動がセフィロスの心に沁みわたって言い様のない感情を湧きおこす。

「ザックス」

相手の名を呼んで、その背に手を回す。強く、強く力の限り。

 

こんなところで不謹慎だ、という誰かの声が聞こえそうだ。

それでもこうして貪り合う唇を止めることなどセフィロスにもザックスにも出来なかった。

今、生きているこの瞬間を誰よりも彼と分かち合いたい。

「セフィロス」

小さな呻き声と共にザックスの息が首筋にかかる。

くすぐったさを覚えながらもセフィロスの頬が持ち上がることはない。

この空間にあるのはそんな温かな愛の営みでないことを知っているから。

 

「急いで戻った時、あんたが見えなくてすっげー焦った。そんなことないって分かってても死んだかと思った。

その瞬間もっとああすれば良かったこうすれば良かった、もっと言ってやれば良かった、もっと伝えたいことがあった、

ずっと後悔ばっかりだ」

ザックスのセフィロスをかき抱く手に力が籠っていた。

「離れなきゃ良かった。こんな思いするならずっとお前の側にいて、お前を守ってれば良かったんだ」

「―お、れは」

「分かってる。俺に守られないでもお前は充分強い。そんなこと分かってるよ。でも、セフィロス」

 

俺はお前の死に顔見るぐらいならお前の為に死にたい。

 

ザックスが向ける痛いほどの思いがセフィロスの若い林檎の瞳を震わせた。

なめらかなプラチナの髪を土埃で汚れたザックスの手が押さえつける。

まるで海風にセフィロス自身が攫われるのを防ぐように。

 

「…ザックス」

平常とは異なった細い糸のような声が海のさざ波に漏れ出す。

「死にたくないと思った。初めて、まだ生きていたいと思った。死ぬのが怖いと思ったなど―英雄失格だな」

久々に見せた笑顔は自嘲に満ちたものだった。

ザックスはそんなセフィロスの顔を両手で包みこむ。

「このまま、消えちまおうか。二人で」

ザックスの唇から零れた誘いは冗談なんかではなかった。彼の瞳がどれだけ本気なのかを知らせている。

セフィロスはされるがまま、ザックスから与えられる肌の温もりを味わいながら彼の紡ぐ言葉の続きを待った。

「このまま居なくなっちまったってこの有様だ。誰も気付かない。お偉いさん方は探すかもしれないけどさ、

それだって時間が経てば終わる話だろ。

なあセフィロス、二人で暮らそう。お前を英雄だなんて誰も呼ばないところで、一緒に暮らそう」

 

ザックスの囁きはとても甘美なものであった。

それが出来たらどんなに素晴らしいだろう、どれだけ幸せであれるだろう。

冷たい北の地で降り積もる雪を眺めるのもいい。あるいはザックスのふるさとで土の香りを味わうのもいいかもしれない。

太陽の下で、煌めく海にくり出すことも―。

 

セフィロスは自嘲ではない笑みを浮かべ、ザックスの手から抜け出した。

その笑顔の意味を即座に理解するザックスが「仕方ない奴」というように肩を竦める。

「幸せな話だが―」

「分かってるよ。お前の考えぐらい、分かってる」

ひらひらと上げる掌にセフィロスは自分の頬も汚れただろうな、と考えるがそれも今更な話であった。

おそらく自分達はとても耐えられない相貌であるのだから。

「なあセフィロス」

遠く水平線を眺めながらザックスは呼びかけた。その背中をセフィロスはただ見つめるばかり。

「お前はどうせ夢物語だって思ってるんだろうけど、俺は本気だからな」

血と、土埃で色が塗られたザックスの顔が同じようなセフィロスを見やる。

「お前がどうしようもなくなったら、俺はお前を連れて神羅を辞める。お前がその時抵抗しようが関係ない。

セフィロス、俺達はミッドガルを離れるんだ」

それは先程の誘いなどという甘いものではなくて、宣言だった。

セフィロスの意思など関係ないという身勝手な、ザックスの愛の告白だった。

 

「それはお前の幸福の為か」

「違う。俺と、お前の幸せの為だ」

 

たくさんの感情が言葉にならず、ただ相手を見つめることしか出来ない。

言葉にしなくては伝わらない。視線を交わすだけでは答えにならない。

それでも、この想いを言葉にすればその全てが嘘に変わる恐怖に襲われる。

そんなセフィロスを救うのはいつだってザックスの一言だった。

余分な感情を何一つ入れない、セフィロスへの愛だけを籠めて呼ぶ、彼の名前。

 

セフィロスはそうやって呼ばれる度に、自分がセフィロスであることを知る。

ザックスは、いつか自分の杯が零れると疑っているようだがそれは訪れない未来だとセフィロス自身は信じていた。

こんなにも、こんなにも意識を救い上げる存在がいて、どうして壊れることが出来よう。

お前がいる限り、俺はずっとこのままだ

そう胸の内で呟いて、セフィロスはザックスの腕を取った。

出血は既に止まり、固まってはいるものの早く処置をした方がいいだろう。

本人が気にしていないなら尚更に。

 

「戻るぞ。そろそろ連絡も取れる頃になっているだろうからな」

足を取る砂に苛立ちながら歩を進めるセフィロスの背後からザックスの吹き出す声がした。

「何がおかしい」

「いや、いつものアンタに戻ったみたいだから。良かったなって。さっきのお前、亡霊みたいだった」

亡霊とは言い得て妙だとセフィロスはまるで人事のように感心した。

確かにまるで感情が抜け落ちた人間は亡霊と言ってもいいだろう。

「…やはり、お前と離れるべきではなかったな」

セフィロスとしては小さく、本当に小さく呟いたつもりでいたのに耳聡いザックスはそれを聞きつけ

「なーに嬉しいこと言ってくれちゃって」などにやけ顔を披露する。

それに冷めた視線で一瞥することで応酬したのだが、一枚も二枚も上手のザックスはそんなセフィロスにただ、

柔らかい笑顔を浮かべるだけ。

「早く、帰ろうな。俺達の家に」

ザックスの呼びかけにセフィロスは何も答えず、黙って背を向け止まっていた足を動かす。

それがセフィロスの答えだった。

 

 

そして二人は海辺の墓地を後にする。身体の痛みも心の痛みもこの場所では癒せない。