たくさんの見えないもの

 

 

口に銜え、火を点けてから紫煙を吐き出すまでの一連の仕草に淀みはなかった。

ザックスは軽く瞼を閉じてから窺う視線をよこすクラウドに向き合う。

「どうした?」

それまで不躾にこちらを見ていたというのに彼は慌てふためいた様子で目を逸らす。

相変わらず面白い奴だな。

ザックスの感想を知ってか知らずかクラウドはおずおず「それ」と彼が今まさに嗜んでいる品を指差した。

「これ?」

指で挟んだ煙草を上げてみせればクラウドの白い喉がこっくり頷く。

「うまいのか?」

「うまくはねえよなぁ。どう考えたって。何?お前興味あるの」

おいおい何でそこで顔を赤らめるんだ。

ザックスの心情はともかくとして、クラウドは再びその顎を引くことで意思を示した。

「止めとけ止めとけ。お前には向いてない。どうせ咳きこんで頭痛くなって次の日気持ち悪いっつって吐くだけだ」

「やってみなくちゃ分からないだろ」

「いーや俺には分かるね。大体お前酒もダメじゃん。酒がダメな奴は煙草も合わないんだよ。世の中そう決まってんの」

「そんなのザックスの思い込みかもしれないじゃないか」

「人生の先輩の言うことは聞いておいた方がいいと思うぞー。後で後悔するのは自分だからな」

にべもなく断られ、クラウドは恨めしげに傍らで彼にはよく分からない琥珀色のアルコールを流し込む男を見やった。

「そもそもお前いくつだっけ?15だろ?そんな歳からこんなん吸ってたら背、でかくならねーぞ」

そういうアンタはどうなんだ、という問いをクラウドが投げつけることは無かった。

しかし見た目とは裏腹に察しのいいザックスの唇が言葉を乗せる。

「俺が吸い始めたのは今のお前より後だよ」

ザックスの表情にからかいの色が見えた。そして彼は吸いさしのそれをおもむろにクラウドの唇にあてがう。

煙を必要以上に吸いこんでしまったのは突然だったからだと後のクラウドは語る。

げほげほと無様に咽る彼にザックスは「な?」と満足そうに笑い、彼が受け入れなかった物を再度自らのものとした。

「まだまだ知らなくていこともあるってことだ」

ザックスの言葉を不満ながらも飲み込むしかないことをクラウドはその時理解した。

 

少々飲み過ぎた様でザックスの足取りは覚束なくなっている。

頭は軽い酩酊状態で、このままどこか女の子でも引っかけ一晩を過ごした方が楽だろう。

それでも家に帰ろうとするのは他でもなく愛おしいと思う存在がいるからだ。

 

「ただいま」

おかえり、と返そうとした口は彼の酷い状態に本来の役割を果たすことが出来なかった。

「酔っているな」

「うん。クラウドと飲んだ後カンセルに会っちまってもう一軒行ってきた」

それだけ言うとこの家のもう一人の住人であるザックスはソファーに倒れこむ。

そろそろ休もうと思っていたセフィロスは仕事が増えた、と一言ぼやきながらも彼の為にキッチンへと向かう。

ミネラルウォーターのボトルを持たせれば、

うつ伏せで意識をあちら側に持って行かれているザックスの「酷い」と言うクッションに潰された声がセフィロスの眉を顰めさせた。

「せめてコップに入れてくれたっていいんじゃねーの」

「馬鹿を言うな。あんな口が広いもの、今のお前が飲んだら零すだろうが。ボトルの方が飲みやすいだろう。キャップは開けてある」

がばり、本当にそんな擬音語が聞こえるような程大振りにザックスは上半身を上げた。

その弾みで封を開けたばかりのそれから水がこぽりと垂れ落ちる。

「お前―」

セフィロスの呆れた声色と表情を物ともせずザックスは彼の手に口付けた。

骨ばった甲から想像もつかないぐらいその掌は温かく、柔らかだ。

頬に当てようとしたその時、持ち主はザックスを払いのけた。

「酔っ払いに付き合う程暇ではない」

そう言ってはいるが足が寝室へ向かないことはザックスとて気付いている。

自らの隣を叩けば口をへの字に曲げながらも大人しく座ることが何よりの証拠だろう。

その優しさはザックスにだけではないかとクラウドやカンセル辺りは言うのだが、そうではないと彼本人は思っている。

セフィロスは分け隔てが無いのだ。だから求められれば与えようとする。

ただ英雄という名に縛られて悲しいかな、セフィロスに人間としての営みを求める輩が少ないのだ。圧倒的に。

ただ、それだけのことではあるが、酒の入ったキスも許されると考えているのだから、

ザックスもセフィロスの優しさは他に向けるものより濃いと思っているのかもしれない。

 

散々セフィロスの口内を味わい、満足していたザックスにセフィロスは「煙草でも吸ったか」という言葉で水を差した。

「あ、何?気付く?一本だけなんだけどな」

「他の奴はどうか知らんが俺にはばれるぞ」

「そうだったわ。アンタ舌利くもんね」

「―ザックス」

「ああ違う違う。お前が思ってるようなのとは違うんだ」

セフィロスの顔に現れた僅かな曇りを払おうとザックスは首を振った。

迷いを隠すように彼は手元の水でつい先程までセフィロスの唾液で濡れていた唇を再び湿らす。

煙草を愛飲しているわけではないことは互いが良く知っている。

そしてその行為が意味する理由も話しあったわけではないが、薄々察していることも事実だ。

だから、セフィロスはザックスが煙草をのんだことに対し、表情を曇らせたのだろう。

「昼間さ、ソルジャー2ndで同期だった奴の身辺整理があったんだ。この間のミッションで何人か死んだだろ?その内の一人だったんだけど」

「ああ―」

「俺、そいつと部屋一緒だった時期もあったから駆り出されて。まあそんなことで一々落ち込んでなんか無いんだけどさ、ただ」

ふと遠くを見やるザックスの横顔をセフィロスはただ見つめていた。

こうした時、何も言うことがなければ口を開かなくていいと教えた本人もまた、何かを言ってもらおうとは考えていないのだろうから。

「ただ…手紙があって」

「読んだのか」

故人の遺品は手をつけずに遺族、または縁のある者に返すのがルールである。

セフィロスの問いかけにザックスは「差出人が書いてなかったんだよ」と苦しい表情を見せた。

「もしミッドガルの奴だったら故郷に返したところで困るだろ。あんまり親兄弟に見せたくないものかもしれねーじゃねーか」

「それで?見せたくないものだったのか?」

「見たくなかったことは事実だな。―そいつの婚約者からだった。驚かせたかったんだろ。一言だけガキが出来たって」

人差し指を薄い唇に当てる仕草は彼の考え込む癖だ。そしてその後厳しい言葉を吐くこともザックスは知っている。

「ソルジャーとして子を成すことはどうかと思うが」

ほらな、とザックスは小さく口角を持ち上げた。

その様にセフィロスのむっとした顔が向き直る。

「いや、お前は正しいよ。俺だっていつ死ぬか分かんねーのにガキ作るのなんか無責任だと思うし」

ただ―彼はそう言いかけてそっと瞼を閉じた。それはまるで悼みを抑えるかのように。

「返事を今か今かって待ってたのに届いたのが死亡報告書じゃ堪んないよなと思って。

自分に子供が出来たことも知らないままってのもさ、死んでも死に切れねえだろ。

―でもクラウドの前で吸ったのは良くなかったな。アイツ変に興味持っちまった」

「まだ15歳だろう」

「ああ。体質的に合わないみたいだしそこまで心配する必要もないとは思うんだけどな」

「吸わせたのか」

セフィロスの眉間に皺が寄る。全くこいつは変なところで神経質だ。

ザックスはその不機嫌を顕わにしているものの、冷冷とした美しさを損なわない顔を見ながら心中で呟いた。

少年兵の生活なんてセフィロスが気にしてどうなるものでもないのだと今度教えてやろうと心に決める。

「一口だけだ。むせ返ってたからしばらく煙草に手出そうなんて馬鹿なことは考えないだろうよ。

クラウドだって我慢してまでやるもんじゃないって分かってるさ。それに脅しといたからな」

「脅す?」

「そう。背伸びなくなるぞ、って。あれぐらいには一番効く脅し文句だな」

「お前が目の前で吸っていたらあまり効力はないと思うんだが」

「それを言ったらお前だって。アイツの前では見せない方がいいぜ?アイツお前に憧れてるからまた馬鹿なこと考えだす」

クラウドだけではなく、彼の年頃はやることなすことほぼ全てが他人に影響される年代であった。

それを身をもって知っているからこそザックスはあまりセフィロスを彼らの前に出したくない。

彼にとっても、セフィロスにとっても行き過ぎた憧憬は互いのために良くないのだ。

                           

 

「でもいつかアイツにも来ちまうんだろうな。煙草と酒に逃げたくなる日が」

そんな日なんて来なけりゃいいのに、と呟くザックスにセフィロスのそれを選んだのは自分自身だろうという至極真っ当な意見が重なる。

「―だが、その日を遠ざけるためにいるんだろう。俺やお前が」

ザックスは心に沁みわたる言葉というものがあることをこのミッドガルに、セフィロスに出会って知った。

心に沁みわたるだなんて自分でも陳腐な台詞であることは充分理解しているが、そうとしか言い様が無い。

あるいは心の琴線に触れるとでも言えばいいのか。

それをどれだけ美しい言葉で表したところで結局言いたいことは、セフィロスは自分を揺さぶってやまないということなのだからそれでいいのだろう。

おもむろにザックスは頭を彼のふとももへ下ろした。

「男に膝枕をしてもらって嬉しいか」

迷惑そうな問いかけには答えず、ザックスは白い天井を見上げながら呟いた。

「手紙を書こうと思うんだ。彼女に」

その彼女が件の女性だと気付いたセフィロスは「そうか」とだけ応える。

「勝手に手紙を読んじまったことを謝って」

「ああ」

「それと俺が見てきたアイツを教えてあげたいと思う。でもそれって逆に傷つけちまうかな。お前が彼女だったらどう思う?」

「彼女の立場で言えば、―有難いだろう。その瞬間は傷つくかもしれないが、いつかお前の手紙が救いになる。

生まれてくる子供にとっても」

セフィロスはこうした時、一言一言を区切るように話す。それは配慮であり、労りだった。

彼の口ぶりがこうしたものに変わる時、ザックスは心が傷ついていることを知る。

油断をすれば滲み出る涙を掌で押しつけることによって堪える。

「そっか、良かった」

ただそう言うだけで精一杯だ。感情が杯から今にも溢れそうであった。

良かった

そう繰り返すザックスの露わになった額に冷たい掌が乗せられた。

それは愛撫だった。欲望を伴わない愛撫であった。

セフィロス。

ザックスは心で幾度となく呼びかけたその相手を掻き抱く。

「明日荷物出すらしいんだ。セフィロス、ついて来てもらってもいいか?」

その要望にセフィロスはセットしてから時間が経ったせいで元気を失くしている髪を一度撫でることで答えを示した。

他人の熱に救われる感触を味わいながらザックスは早く自分達のようになりたいと口にした少年に思いをはせる。

願わくは彼が、こんな感情に苛まれることがないように。もしその日が訪れたなら、彼の側に愛おしい人が居てくれるように、と。

今の自分のように。