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雨だれのような細い音が耳に届き、ザックスはエレベーターへと向けていた足を止めた。
それは本当に微かなものでその音の元を辿れたのはザックスだったからだろう。
「びっくりした」
開いた扉の向こうにいたのはよく見知った人物で、自然と彼の頬は緩む。
「お前、ピアノなんて弾けたんだ」
黒色の厳かな楽器の前で音を紡いでいたその人、セフィロスは彼を彼だと知らしめる銀糸をたなびかせた。
「昔、少しだけ習ったことがある」
ぽん、と彼の長い指が白い鍵盤を押して軽やかな音が静かに響く。
ザックスが彼の傍らで適当な節をつけて歌えばセフィロスの笑い声がその歌声に重なった。
「下手くそ」
「いいんだよ、お前だって歌なんて歌えないだろ」
白と黒のコントラストの上に乗せられたセフィロスの右手にザックスの左手が触れた。
「俺にも弾ける曲ってある?」
「さあ、どうだろうな。完全に弾けるものなど俺にも無いから分からない」
「なんだ」
「弾きたかったのか?」
「いーや、家にでも置いて教えてくれって言えばいつでもセフィロスの弾く姿が見られると思っただけ」
意図を探るセフィロスの額にザックスの唇が落とされた。
その艶めく髪に再び口付けてザックスが口を開く。
「さっきからずっとキスしたかったんだよな」
馬鹿か、と言うであろうその口を塞ぎ、セフィロスの唾液を舌で舐める。
「物音がしたから何だろうと思って探したらお前が居てさ、その時からずっとキスしてえなって思ってた。色っぽいんだもん、ピアノ弾くセフィロス」
阿呆らしい、そう吐き捨てセフィロスはすっくと立ち上がった。
途端に目線が逆転し、ザックスはやれやれというように肩を竦めた。
戻るぞ、と物語る背中に彼は話しかける。
「家に置くのが嫌ならまたここに来て弾いてくれよ。最初から、弾けるところまでさ」
振り返るセフィロスの表情は僅かに曇っていた。
それはザックスでしか気付かない程度のもの。
首を傾げる彼にセフィロスは「それは無理だ」と呟いた。
「明日には処分されるらしい。ここに置いてあるのもその為だ。でなければいくら空き部屋とは言え神羅本社にこんな物置いてあるはずがないだろう」
最もな説明にザックスはぽつんと佇んでいるそれを見やる。
先程までの荘厳な雰囲気は何処へ消えたのか、楽器はただの古びたものと化していた。
ああ―。ザックスは納得の溜息をつく。
あんなにも厳かで、壮麗に見えたのは奏者が他でもないセフィロスだったからだ。
セフィロスが玲瓏であるから、音もまたそう聞こえるのだ。
ザックスはふ、と笑みを漏らし自分の訪れを待つセフィロスの元へ歩き出す。
今度、休みにでも酒場に連れ出そう。場末のバーにもピアノの一つはあるだろう。
酔っ払ったセフィロスが弾く曲に調子っぱずれの歌。
どちらもきっと一晩の細やかな祝宴を盛りたててくれるはずだ。
ザックスは今後の予定を組み立て、こちらを見るセフィロスへ笑いかけた。
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夜明け頃に目を覚ますことは稀だ。
ソルジャーとして鍛練された身体は公私の区別を分けられるようになってからは自宅に居る際、こうして覚醒することは数える程しかなかった。
それなのに何故。
原因は分かっている。傍らで寝息を立てている男だ。
いつの間にか丸みが取れた顎には不精髭が生えている。
剃り忘れたのだろう。その理由の一部が自分にもあるのだからあまりそれを邪険にも出来ない。
微かに漏れる吐息の中に酒の香りが漂っている。
恐らくは自分もそうなのであろう。
自らの体たらくに小さな息が漏れた。
その瞬間それまで適当にセフィロスの腰に置かれていた腕が急に力を入れ、彼の身体をそちらへと引き寄せた。
「ザックス」
こうしっかりと抱きしめられれば気恥ずかしさもあり、思わず硬い声が出る。
しかし当の本人は寝惚けているのかわざとなのか「うん」と短く頷くばかり。
そうして眠りを誘うかのようにセフィロスの腰に当てた手でリズムを取り始めた。
伝わる温もりが確かにセフィロスの意識を現実から遠ざけていく。
もういいか
理性だとか、常識だとか、プライドだとか、一人睡眠を貪っているこの男に冷たくあたる理由ならいくらだって出てはくる。
しかし、今この温かさにセフィロスは無条件に甘えようと決めた。
ザックスの半身に頭を寄せれば彼もまたその甘えを受け入れているのか、その力が再び強くなる。
愛など低俗だと笑っていたあの頃はどこかへ消えてしまった。
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「あ」
下唇を食んだ瞬間気の抜けた声が上がる。
顔を離したザックスは色気の無い恋人に無言の非難を送る。
「唇が切れた」
「見りゃ分かるよ」
淡々と状況を説明するセフィロスに呆れたように溜息をつくと、彼はふつりと小さな玉を浮かべているその唇を指先で拭った。
赤い、赤い血がセフィロスの唇を染める。その色に誘われるようにザックスは再びそこへ顔を寄せ、深く彼の口内へと侵入した。
二人の間に言葉はもう無かった。